前橋地方裁判所 昭和41年(ワ)309号 判決 1969年6月11日
原告
榊原桐子
被告
福島清巳
ほか一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は、「被告両名は、連帯して原告に対し、金二一五万六五二二円およびこれに対する昭和四二年一月二八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告両名の連帯負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、被告両名訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二、請求原因
原告訴訟代理人は請求原因として次のとおり述べた。
一、事故の発生
原告の長男榊原勲は、昭和三八年一〇月一七日午後三時三五分ごろ、第二種原動機付自転車(境町B第一、八八九号、以下「本件二輪車」という。)を運転して、伊勢崎市茂呂町四七三番地先道路を南進中、同所において先行車(小型四輪貨物自動車)の追い越しにかかつた際、対向して来た被告福島清巳の運転する自動三輪車(群八す一〇八六号。以下「本件自動車」という。)に衝突して、その場に転倒し、これにより前記勲はその約二時間二〇分後、同市日吉町福島病院において頭蓋内出血のため死亡するに至つた。
二、被告福島の過失
右衝突事故(以下「本件事故」という。)は被告福島の過失に基くものである。すなわち被告福島は、本件自動車を運転して前記道路上を時速約五〇キロメートルで北進中、自己進路前方に、先行車を追い越すため進入した前記勲運転の本件二輪車が迫つているのをみとめたのであるから、これとの衝突を避けるため減速除行するか、ハンドルを左に切り、もつて右二輪車との衝突を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然そのままの速度で進行し、かつ操車を誤つて逆にハンドルを右に切つた過失により本件事故を惹起させたものである。
三、被告両名の責任
被告福島は、前記のとおりの過失により本件事故を惹起させた者であるから、直接の加害者として民法第七〇九条により、被告石崎和一は、本件自動車を保有して自己の衛生業のため運行の用に供していた者であり、これを被用者である被告福島をして運行せしめた際、本件事故が生じたものであるから、運行供用者として自動車損害賠償保障法第三条本文により、それぞれ原告の受けた後記各損害を賠償する責任がある。
四、損害
(一) 前記勲の得べかりし利益の喪失による損害
右勲は昭和三八年四月八日県立東高等学校に入学し将来建築技師となる志望で勉強していたのであるが、死亡当時一九才であつたから、昭和四二年同校卒業後勤労に服するとして、同人の余命を四九年とすれば少なくとも今後二六年間は就労し得たことになる。勤労による平均賃金を一か月金四万円として計算すると、一年宛の逸失利益は金四八万円となるが、その二分の一は同人の生活費に充てられるものとし、残額金二四万円が同人の一年間平均の得べかりし利益となり、その二六年分の収入金六二四万円から、ホフマン式計算法(単式)により年五分の中間利息を控除して一時払額を求めると、金二七一万三、〇四三円となる。したがつて、同人は被告らに対し右と同額の逸失利益の賠償請求権を有していた。
原告は右勲の母として、同人の父長次郎と共に右勲の相続をなし、同人の被告らに対する金二七一万三、〇四三円の損害賠償請求権のうち相続分たる二分の一に相当する金一三五万六、五二二円の請求権を相続により取得した。
(二) 慰藉料
右勲は中学校卒業後一時工員として働いていたが、なお学業を修得するため退職し、前記のとおり県立東高等学校に入学し将来建築技師になる志望で勉強していたものである。原告は将来の希望をかけていた右勲を本件事故で失い、甚大な精神的苦痛を受けた。これを金銭に評価すれば、本来金三〇〇万円が相当額であるが、本件事故の発生につき、同人にも不注意の点があつたことを斟酌し、結局右精神的損害額は金八〇万円とみるのが相当である。
五、結論
よつて、原告は、被告両名に対し、連帯して前記四、(一)および(二)の合計額金二一五万六、五二二円の損害賠償金およびこれに対する本件事故の後である昭和四二年一月二八日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三、請求原因に対する答弁
被告両名訴訟代理人は請求原因に対する答弁として次のとおり述べた。
一、請求原因第一項の事実は認める。
二、請求原因第二項の事実は否認する。
本件事故は、次の(1)、(2)に述べるとおり被告福島の過失に基づくものではない。
(1) 被告福島には運行速度について義務違反はなかつた。
すなわち、本件事故の発生した道路は公安委員会による指定速度の制限のない地域であるが、被告福島はそれにもかかわらず時速三〇ないし三五キロメートルの低速度で運転していた。
(2) 被告福島には衝突回避の運転操作に過失はなかつた。
すなわち、前記勲は本件二輪車を運転し、自己の先行車である小型四輪貨物自動車を追い越すため時速六〇キロメートル以上の速度でセンターラインを越えたところ、反対道路を進行して来る被告福島運転の本件自動車を発見し、あわてて急制動措置をしたが右のような高速であつたこと、そして当時は雨が降つて路面が濡れていたことなどから、車体が斜に傾きそのまま被告福島の進路前方を右から左へスリップしながら進んで来たのであり、被告福島はこれとの衝突を避けるためハンドルを右に切つたものであつて、本件状況下にあつてはこの措置は衝突を回避する措置として適切であつた。すなわち、被告福島が右にハンドルを切つたため右勲の本件二輪車は本件自動車の左側前部フエンダー部分に衝突しただけであつたが、もし、被告福島がハンドルを左に切つていたならば、本件二輪車とは正面衝突をする状況下にあつた。
三、請求原因第三項の事実のうち被告石崎が本件自動車を保有して自己の衛生業のため運行の用に供し、これを被用者被告福島をして運行せしめた際、本件事故が生じたものであることは認めるが、その余の事実は争う。
四、請求原因第四項の事実はすべて知らない。
第四、抗弁(被告石崎)
被告石崎訴訟代理人は抗弁として次のとおり述べた。
被告石崎は次の事由(自動車損害賠償保障法第三条但書)により原告に対し、本件事故によつて生じた原告の受けた損害を賠償する責任はない。
一、本件事故は前記勲の過失に基づくものである。
すなわち右勲は、本件二輪車に乗車し、前記道路を南進中自己と同一方向を時速約五〇キロメートルで先行する小型四輪貨物自動車を追い越そうとしたが、かかる場合には車両運転者としては、反対の方向からの交通に十分注意し、かつ、できる限り安全な速度と方法で追越しをなすべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然時速六〇キロメートル以上の速度でセンターラインを越え道路右側部分に進入した過失により本件事故に至つたものである。
二、被告石崎および被告福島は本件自動車の運行について注意を怠らなかつた。
すなわち、被告石崎は、被告福島を運転手として採用するに際し、同被告に道路交通法違反の前科があるか否かを調査し、また毎日始業時には同被告に対し、安全運転をするよう指示し、厳重に監督していた。本件自動車の運転手である被告福島が、本件事故当時、右自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことは前記第三、二に詳述したとおりである。
三、本件自動車には構造上の欠陥又は機能の障害は全くなかつた。
第五、抗弁に対する答弁
原告訴訟代理人は抗弁に対する答弁として、抗弁事実はすべて否認する、と述べた。
第六、証拠〔略〕
理由
一、原告の長男榊原勲が昭和三八年一〇月一七日午後三時三五分ごろ本件二輪車を運転して伊勢崎市茂呂町四七三番地先道路を南進中、同所において先行車(小型四輪貨物自動車)の追い越しにかかつた際、対向してきた被告福島の運転する本件自動車と衝突して、その場に転倒し、これにより前記勲は、その約二時間二〇分後、頭蓋内出血のため死亡したことは当事者間に争いがない。
二、被告福島の責任の有無について
原告は、本件事故は、被告福島が減速徐行義務に違反し、或いはハンドル操作を誤つた過失により惹起されたものである旨主張するので検討する。
(一) 〔証拠略〕を総合すると、本件事故が発生した道路は平たんなアスファルト舗装であつてその付近はほぼ直線に近くその周囲には道路に接するようにして人家や垣根が立ち並んでおりその幅員は約七・七メートル(片側約三・八五メートル)の比較的狭い道路であつて、本件事故当時右道路付近は通行人もかなりありその路面は雨のため濡れてスリップしやすい状態であつたこと、被告福島は本件事故の直前道路両側に車両が駐車してあつたこと、同一方向に走行していた自転車を追い抜いたこと、また、雨が降り始めたことなどから特に速度に慎重を期し、本件自動車を時速三〇ないし三五キロメートルの速度で運転し、道路のセンターライン内側をほぼ右側車輪が接する状態で走行していたこと、被告福島の運転する本件自動車の車幅は一・八メートル、車長は四・六八メートルであつて、右走行時道路の左端(西端)とは約一・九メートルの間隔しかなかつたこと、そして被告福島は、前方約三四ないし三六メートル先に反対道路を進行して来た前記勲運転の本件二輪車が前方約一〇メートルの地点を走行していたその先行車である小型四輪貨物自動車(時速約五〇キロメートルで進行中)を追い越すべく同車の後から急に飛び出してセンターラインを約〇・五メートル越え、少なくとも時速六〇キロメートルの速度で被告福島の進行道路に進入して来るのを発見したこと、さらに被告福島は、右勲運転の本件二輪車が急制動の措置をとつたがスリップし、車体を傾かせながら、被告福島の前方を向つて右側(東側)から左側(西側)へ進んで来るのを目撃して衝突の危険を感じ、もしもそのまま北進するかハンドルを左に切るかすれば正面衝突を免れないとの判断のもとにとつさに、ブレーキを踏みハンドルを右に切つたが、その時点での両車両の距離は約一二・七ないし一三メートルにすぎなかつたこと、被告福島は最初に本件二輪車を発見し、衝突の危険を感じた地点までは約三・五ないし五・七メートル進行したが、前記の速度から換算するとその間は〇・三秒から〇・六秒にすぎないこと、しかして右勲はその運転する本件二輪車とともに本件自動車の左側前部、フエンダー部分に衝突し、その身体は本件自動車の下にもぐりこむようにして入つてしまい、本件二輪車は被告福島進行方向からみて左後方にはねとばされたこと、などの事実を認めることができる。前記甲第四号証の一のうちには前記勲が時速約五〇キロメートルで追い越した旨の記載があるが、それ自体同号証の作成者である警察官宮下喜平次自らの見聞した事実を記載したものではないうえ、前掲各証拠に照らすと、たやすく信用することができず、〔証拠略〕中右認定に反する部分も前掲各証拠に照らすとたやすく信用することができない。そして、他に右認定を覆えすに足りる十分な証拠はない。
(二) そこで、右認定事実に基づき、本件事故が被告福島の過失により惹起されたものであるかどうかについて以下検討する。
(1) 原告は、被告福島が衝突の直前ハンドルを左に切るべきところを右に切つた操車上の過失により本件事故が惹起されたものであると主張する。
しかしながら、前記認定事実によると、被告福島は、前記勲の運転する本件二輪車と距離にして約一二・七ないし一三メートルにせまり前記認定のような判断のもとに自己の運転する本件自動車のハンドルを右に切つたのであるが、当時本件二輪車は、被告福島の前方をセンターラインを越え、被告福島の進行方向の右側(東側)から左側(西側)に向け前記認定のような高速で進行して来たのであるから、むしろ被告福島が本件自動車のハンドルを左に切れば、かえつて本件二輪車の進行方向に、これを走行させることとなつて、正面衝突をする可能性が極めて強く、正面衝突は免れるにせよ前記認定のような本件自動車の車長よりすると、その右側面に衝突することは容易に考えられるところであり、そのうえ前記認定のとおり本件事故付近の道路幅は比較的狭くその道路脇にはこれに接するようにして人家や垣根が立ち並び、被告福島の運転する本件自動車と道路左端(西端)の間隔は僅か約一・九メートルに過ぎないから、ハンドルを左に切ればそのまま人家などへの衝突の危険性があり、結局これらのことからかかる場合被告福島がハンドルを右に切つて左側(西側)に接近して来る本件二輪車を右側(東側)に避け、これとの衝突を防止しようとしたのは、無理からぬ処置でありこの点について被告福島に過失ありとして問責するのは酷に失しとうてい許容することができない。
(2) 次に原告は、被告福島が最初前記勲の運転する本件二輪車を発見した際これとの衝突を避けるため減速、徐行すべきところこれを怠つた過失により本件事故が惹起されたものであると主張する。
しかしながら、前記認定事実によると、被告福島は最初その前方約三四ないし三六メートル先に先行車である小型四輪貨物自動車を追い越そうとしてセンターラインを越えて自己の進路に進入して来た前記勲運転の本件二輪車を発見したのであるが、その後同被告が危険を感じとつさにブレーキを踏みハンドルを右に切つたのはわずか〇・三ないし〇・六秒後という一瞬にも近い極めて短時間であつたのであり、しかも右のとおり〇・三ないし〇・六秒の間とつさの処置が遅れたとしても、前記勲の運転する本件二輪車は小廻わりのきく原動機付自転車であり、いまだ先行車である前記小型四輪貨物自動車と併行して走行しているわけでもなく、その後方約一〇メートルのところを走行していたのであり、一方被告福島の運転する本件自動車は時速三〇ないし三五キロメートルの比較的低速で走行していたのであつて、これらにあわせ、本件全証拠をもつてするも右勲の運転する本件二輪車が被告福島が最初に発見した瞬間に蛇行、傾斜等その他異常な走行状態にあつたとは認められないこと、(本件二輪車が傾いて走行して来たのは被告福島が危険を感じたその後のことである)原告主張のようにかりにそのまま減速、徐行したとしても、いずれにせよ前記認定のとおりの本件二輪車の速度および走行状態、路面の状況、本件二輪車と自動車の激突の状況からすると、なおも衝突の可能性は十分に考えられることなどを総合すると、被告福島が本件二輪車を発見したその瞬間減速、徐行等の措置をとらなかつたことをもつて、被告福島に過失ありとして問責するのは酷に失し相当ではない。
(3) そのほか、前記認定事実および本件全証拠をもつてしても、被告福島が前方不注視等により、前記勲の運転する本件二輪車の発見が遅れたこと等その他その過失を裏付ける事実を認めるに足る証拠はない。
以上によれば、本件事故は被告福島の過失によつて惹起されたものとは認め難く、したがつて、同被告は原告に対し、本件事故によつて、原告が受けた損害を賠償する責任を負ういわれはないものというべきである。
三、被告石崎の責任の有無について
(一) 被告石崎が本件自動車を保有して自己の衛生業のため運行に供していた者でありこれを被用者である被告福島をして運行せしめた際、本件事故が生じたものであることは当事者間に争いがない。右争いのない事実によると、被告石崎は、自動車損害賠償保障法第三条本文所定のいわゆる「運行供用者」として、同項但書所定の免責事由を主張、立証しない限り本件事故により原告の受けた損害を賠償しなければならない。
(二) そこで、被告石崎の抗弁(免責事由)について検討する。
(1) 被告石崎は、本件事故は前記勲の過失に基づいて惹起されたものであると主張するのでこの点について検討する。
およそ車両運転者としては、先行車を追越すため進行道路の右側部分に進出しようとするときは、反対の方向からの交通を妨げるおそれがないことを確認した上でこれをなすべきであり、もし右の確認ができない場合には、追越しを断念すべき注意義務があるとともに、追い越しをなす場合には路面の状況等に従い運転上減速の措置をとつて事故の発生を未然に防止しうるだけの安全な速度と方法でもつて運転すべき注意義務があることが明らかである。
しかして、前記認定事実によれば、前記勲が先行車を追い越そうとしてセンターラインを越え道路右側に進出したときには、その約三四ないし三六メートル前方には被告福島が運転する本件自動車がセンターラインの内側をほぼこれにそつて進行してきたのであり、また本件事故当時、その現場付近の道路はかなりの通行人もあり、その道路幅は比較的狭く、周囲には前記認定のとおり人家等も立ち並んでおり、しかも雨のため路面も濡れスリップしやすい状況にあつたのであるから、特に慎重な運転をしなければならないのに、前記勲は前方の確認をなさなかつたか或いはその判断を誤まつた過失により右のような危険な道路状況を無視し、追越しを中止することなく、無謀にもそのまま少くとも時速六〇キロメートルの高速でセンターラインを越え、反対道路を走行して追越しをしようとし、その進路前方約一二・七ないし一三メートルに至つてはじめて危険を感じ急拠急制動の措置をとつたけれども前記のとおり路面が濡れていたためスリップし、そのまま大きく傾きながら被告福島に避譲の余裕を与えるひまもなく本件自動車に激突したのであり、本件事故は、専ら右勲の前記のような過失による無謀極まりない運転により惹起されたものというべきであり、本件事故に関し、被告福島に過失がないことは前記説示のとおりである。
(2) 被告石崎は、自己および被告福島は、本件自動車の運行について注意を怠らなかつた旨、また本件自動車には構造上の欠陥または機能の障害は全くなかつた旨それぞれ主張するので検討するに、被告石崎、同福島(一回)の各本人尋問の結果に前記二、三(二)(1)において認定した事実を総合すると被告石崎の右各主張事実を認めるに十分であり、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。
以上によれば、被告石崎も、自動車損害賠償保障法第三条但書規定の免責事由をすべて主張立証したことになるから本件事故によつて原告が受けた損害を賠償する責任を負ういわれはないものというべきである。
四、よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 松村利教)